2014年12月31日水曜日

行く雲のように、流れる水のように


「年の瀬は慌ただしくなりがちですが、おせちは計画をしっかりと立てれば、意外と時間にゆとりができます。ゆったりとした気持ちでおせちを作りながら、今年一年を振り返るのがいいんですよ。そうして一年にけじめをつけて、気持ちを新たに新年を迎えるのです」
誰が言ったかは忘れてしまいましたが、おせち料理にはその一品一品に縁起などの意味があるのはもちろんのことですが、作るという行為そのものにも大切な意味があるというのです。

私のおせちは、一人暮らしなのでそれほど量も種類も作れません。それでも出来合いの物で揃えるのは何となく気が済まない。できそうなものをできるだけ作るだけで済ませています。その点ではとてもマイペースに料理ができるので、必然的に一年のことに思いを馳せることになります。

私が料理をしながら頭をよぎった、というより頭から離れられなかったのは、つい先日に退職した仕事仲間のことでした。来年から郷里を離れ、友人のもとで居候しながら新しい仕事を始めるというのです。


私の会社は、単刀直入に言えば同族のワンマン企業です。どこかねじれている経営方針に社員は振り回され、この1年だけでも多くの従業員が離れていきました。長く残っているのは、心を失った社畜か、何も考えられないイエスマンのみです。今で言うブラック企業なのかもしれません。詳しいことはここでは省きますが、また機会があれば記したいと思います。
残業はそれほどでもないのですが、思考を停止し、会社に服従しなければ生き残れません。社会的なモラルを失い、会社に洗脳されるということは、会社から離れた後のことを考えると、長時間残業よりもある意味、たちが悪いものなのかもしれません。
異常な職場の中で、会社の奴隷になりたくないという意志を持つ者同士が集まると、否が応にも仲間意識が芽生え、結束力が強まります。その仕事仲間も同士の一人でした。

彼女は自由で、組織に染まらないタイプでした。おかしな慣例には「おかしい」とはっきり反発し、自分が快適に仕事ができるように環境を変えようとする。それは単なる自分勝手ではありません。会社のためではなく、お客さんのために働くという揺るがない意志が根底にあったためで、結局は自分の仕事を最後まで全うしました。
しかし彼女の思いはイエスマン達には届かず、不満や怒りを募らせることも多かったようで、苦しそうな表情を浮かべたことも多々ありました。たまに終業後に私と食事がてら愚痴を吐き、日頃の鬱憤を晴らしながら理不尽に耐えてきました。長い我慢が続きましたが、このたびようやく新しい職場を見つけ、晴れて新しい一歩を踏み出すことができたのです。

そんな彼女のことですから、世間一般の日本的な慣習や人生のレールにも疑念を抱いていましたが、結婚については例外で、年相応に結婚願望が強くなっていたようです。それは、周囲に結婚が相次ぎ、また親族からのプレッシャーがあったせいでもあったようで、どことなく彼女からは焦りが見えました。
そこでお見合いに近い形で、父親から男性を紹介してもらいました。その男性は性格がよく、学歴や収入などのステータスも、申し分ありません。渡りに船とはまさにこのことで、結婚すればきっと世間体にも満足がいくことでしょうけれども、彼女は男性にどうしても好意を持てなかったといいます。

世間の価値観に従うか、自分の本心を選ぶか。
「私はどうしたらいいのかわからない」
2つの価値観の葛藤で、よく彼女は混乱したかのように洩らしていました。


昨日30日、私は送別の意味を込めて彼女に会いました。おいしい食事を食べながら、話は自然と今年一年のこと、会社のこと、来年のことになります。もちろん、結婚のことにもなりました。
ひとしきり話した末に彼女は決心したようで、
「私、まだ結婚しない。本心から好きになった人が見つかるまで、しばらくは一人でいたい。世間様より自分の本心を大切にする。」
彼女はひとまず、新しい環境で今後の身のありようをじっくり考えるそうです。近いうちに一人暮らしも始めるとも言っていました。


行く雲のように、流れる水のように。昔の人が全国を旅したのは、それこそ行く雲のように、流れる水のように自由な心の境地にたどり着くためだった、という物語を聞いたことがあります。略して行雲流水。修行僧を「雲水」と呼ぶゆえんです。

彼女はこれから、各地を渡り歩きながら、自分の本心を大切にしながら、彼女自身の求めるものを見つけていくのでしょうか。それが、世間体に囚われない、自由な彼女にふさわしいと、私は思います。自由な彼女が、もっと自由になる人生の旅。「安らぎがほしい」と時折つぶやいていた彼女の安住の地はどこになるのでしょうね。もしかしたら海外なのかもしれない。


ぼんやりと考えていたらおせちができあがりました。なんだか明るい来年になりそうだなと我に返ったとき、今年にけじめをつけたような気がしました。

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