2019年5月29日水曜日

ぼやき

会社が売られることが決まってからは社内も動きが慌ただしく、落ち着かない日々が続いています。その様を見るだけで疲れてしまい、私もいろいろと悶々と悩む日々が続いています。ぼやきをブログで吐きたい衝動に駆られます。
しかし、あまりあれこれと言っていると社内の人間に見られてしまう可能性が高くなってしまいます。なるべく身元がばれないようにしていますが、世間は意外と狭いもので、自分でも思いもしないルートでばれてしまうこともあります。
なので、今の会社の事情は退職してからまとめよう…と思っていたのですが、記憶が新しいうちに、心が揺れ動いているうちに書くのに越したことはありませんし、何より貯めて貯めてを繰り返していると、頭がパンクしそうです。
そこで、可能な限りぼやかしたりフィクションを交えたりして、身元がばれないようにぼやいていくことにしました。
当然ですが、ぼやいたり愚痴ったりなんてものは、なければないに越したことはありません。苦労は買ってでもしろとはよく言いますが、その捉え方によって苦労は良くも悪くもその人の人生に影響を与えます。
一番みっともないのは、苦労をまるで勲章のように誇るタイプ。「毎日終電の生活で月100時間残業した」「トラブルがあったら土日深夜問わずかけつけてひたすら謝った」などと自慢するのは自由ですが、それを人に押しつけるのはいけませんし、言い始めると残業月100時間の人は月200時間の人に勝てません。
苦労や理不尽はなるべく反面教師として捉えて、そこから何かしらの学びや気づきを得たいものです。名言に「悪妻を持てば哲学者になる」とありますが、悪い会社にいれば哲学者になれる…かもしれません。もちろん、心身が健全なままでいればの話です。
これからは会社から一歩引いた場所に身と心を置いて、反面教師として学んでいこう。そうでもしなければ耐えられなくなる気がしてきました。

2019年5月18日土曜日

権力がリセットされると

会社が売られることが決まり、それを知らされた時の従業員の反応は、きれいに真っ二つに分かれました。

一方は、特に無反応で淡々と受け止めた人たち。最近入社したばかりの人や、私の後輩がそうでした。端から見ると、私も無反応だったようです。「いずれそうなるだろうと思っていた」「時間の問題だった」「破産しないのか」という感想がほとんど。それはそうで、赤字体質の企業が何事もなく平穏に生きていけるわけがありません。どこかで達観したところがあって、後はタイミングの問題だろうと思っていたようです。

もう一方は、動揺を隠せなかった人たち。このニュースは青天の霹靂だったようで、表情が暗い。「社長にもう会えなくなるのか」「売られた後の仕事はあるのか」…先のことがわからなくなる不安が大きいようでした。例えば工場長、相談役、社長に気に入られている社員。身も蓋もない言い方をすれば、社内政治にお熱を上げていた人たちでした。

社内政治というものは、本当にくだらないものと思います。真実や論理より、保身のアピールや、誤った主張が受け入れられる。しかし、この会社の歴史を振り返れば、社内政治が延々と幅を利かせていた気がします。これまで部長や工場長はころころと変わってきましたが、その全てが社内政治に走った。誰もが、自分が楽になるように、自分の立場が優位になるようにと。その背中を見て育った若手も、真似をするようになったのは不幸の始まりでした。

しかし、親会社という後ろ盾がなくなると、いったん権力はリセットされ、中立的な評価が下されることになります。そうなれば、何も成果を上げず、社内政治のことしか考えられなかった連中はどうなるか。これまでと一変して立場が追われるだろうことは容易に想像がつきます。

親会社が変わり、いったん権力がリセットすることで、会社は良くなるのかもしれません。しかし、いざ大ナタをふるえば、残ったのはごく一握りの人材だけだった…なんてことになれば、果たして会社は存続することができるのでしょうか?社内政治がはびこり、組織としての力がほとんどないことが白日の下にさらされることになれば、そんなダメ会社を買ってくれるようなお人好しはいない気がします。

2019年5月15日水曜日

怠惰な夢

私の勤める会社が身売りに出されることになりました。もともとは親会社があり、新規事業として会社の工場跡地を使おう、といういきさつで作られた会社でした。

私はそれなりに古株となりましたが、確か面接の場で社長から「この事業にはロマンがある。私の夢だった」と言われた記憶があります。しかし実体はというと、社長はほとんど会社に姿を現さない。せいぜい数ヶ月に1回程度で、来たと思ったら会社の飲み会に顔を出す程度でした。親会社の役員が取締役の1人でしたが、その人も週に2回顔を出せば良い方で、本業の片手間のような感覚だったのかもしれません。

これが完全に放置ならまだ良いです。厄介なのは、現場を知らない取締役の鶴の一声で現場が振り回されたことでした。知識もなく思いつきで仕事が降ってくるか、自分の立場を有利にしようとする連中にそそのかされて傀儡政治を敷くかのどちらか。経営方針も数ヶ月でコロコロ変わり、その全てが実を結ぶことはありませんでした。

稼働当時からの赤字体質から脱却できないのは当然の結果で、親会社から借り入れを行うことで凌いできましたが、ここにきて限界に達したか、会社を手放すことになりました。

私の面接の際に社長が言った「夢」とは何だったのか。夢やロマンを語るのは結構なのですが、実際に現実にモノを作り、従業員を雇っている以上、作りっぱなしではいけません。もしかしたら、「コンサルに全て任せておけば金になる」とでも思っていたのかもしれません。しかし、まだまだ発展途上であり、正解のない業界です。相応の知識を持ち、現状を深く理解した上で判断を下さなければなりませんでした。この顛末は因果だと、私は思います。

取締役は「不安かもしれないが安心してほしい」と言っていたものの、身勝手に聞こえて仕方ありません。