日本での自然療法の立ち位置はどうでしょう?例えば中国より伝わった漢方は古くから用いられ、今では「和漢方」という医療の一分野としてみなされるようにまでなりました。しかし、もともとハーブやスパイスといった植物を活かし、健康維持をはかる文化がなかったように思えます。一見すると。
しかし、海外のように様々な薬草を駆使することはないにしても、しそ、しょうが、ねぎなどの薬味はあります。これらは禅宗の文化の影響から、普段の食卓には並びませんでしたが、名前の通りまさに薬として用いられてきました。
ハーブやスパイスをたしなんでいると、つい見落としがちなのですが、日本でも親しまれている植物療法は確かにあるはずです。
ただ見えていないだけで。
しその葉は、中国から入ってつい近年までは、薬草として用いられていた。
たとえば、しそ酒がそうである。また、しその葉を乾燥させて、おろししょうがと煎じるのだ。…ちょっとした、風邪などテキメンに効く。
いつのころからか、ハーブ、ハーブと西洋ものを喜んでいる一部人間がいる。マニアの一人に、
「しその葉も使いますか?」
訊いたことがある。すると、
「あんなもの」
言うてござったが、恐れ入ったことである。
「照顧脚下(しょうこきゃっか)」
脚下に珍重すべきものが、ふんだんにあるのにと惜しむ。
(『禅寺の精進料理十二ヶ月』藤井宗哲著より)
「照顧脚下」とは「足元をよく見よ」という禅宗の言葉です。
この言葉は、どのようにも捉えることができますが、いずれにしても耳の痛い話です。曲がりなりにもハーバルセラピストを名乗っている手前ですが、様々な知識を蓄えているうちに、ともすると妙にテンションが上がってしまい、西洋から来たハーブの植物療法が万能であるかのように錯覚してしまいそうになることも、しばしばあります。
しかし、先のとおり日本には薬味がある。「冬至にはゆず湯、かぼちゃ」「柿が赤くなると医者が青くなる」といった養生訓もある。
日本古来から脈々と受け継がれてきた生活の知恵というのは、本来、日本の風土や日本人の体質に合ったものであるはずです。それらを活かさないのはもったいない。
目の前の知識に溺れてしまい、ついうっかり忘れてしまいがちですが、足元の知恵もまた大切にしていきたいと、私は思っています。
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