私の知人の何人かはフリーランスで生計を立てているのですが、自分の身一つで生きていくというのは途方もない苦労が伴うものだと、私は時に感服することがあります。そして、その苦労の大部分は営業なのではないか、と最近思うようになりました。
寄らば大樹の陰とはよく言ったもので、「この仕事は自分の実力でこなしている」と自負していても、実際は勤めている企業のブランドがあり、営業部隊が必死になってコンペで勝ち取っているから仕事にありつけていたりします。そして、いざ大樹から離れて初めてその自惚れに気づき、自分の営業力の無さに打ちひしがれながら望まないバイトでなんとか食いつなぐ、そんな人たちを私は何人も見てきたような気がします。
仕事は待っていても来ないもの。ある元営業マンは「飛び込みをガンガンやるしかないんだよ!」と口癖のように言っていましたが、正直、私には無理だなと少し引き気味に話を聞いていました。
スピリチュアル系の活動を生業にしている知人がいます。仕事の内容が内容なだけに、必然的にフリーランスの身の上、しかも独身なので家計の支えが無い。もともとは会社に勤めながらの副業だったのですが、本業にしようとした途端に、食べるものにも困るほど生活が窮するようになったと言います。となると、飛び込みでも何でもいいから営業をかけて、自分を売り込み、仕事を得るしかありません。食い扶持をつなげるためには、なりふり構ってはいられません。
会社を退職してからというもの、知人は随分と変わってしまったように見えました。久しぶりにお茶をして話をしていても、どうしても「仕事がほしい」という欲求がちらついてしまってます。かといって、こちら側も付き合いでお金を払うのにも限界があるので、曖昧な反応でお茶をにごすしかないのが苦しいところです。
彼女のブログも、以前は独自の目線で物事を深く掘り下げた内容が多く、読みごたえがあったものでしたが、最近では「今日はどこそこの誰かとエネルギーワークでした!」とか「尊敬する○○さんのセミナーにようやく参加。感動しました!」という感じで、要は、方々に出向いた以上、という表面的な記事ばかりになってしまい、なんだか端から見れば面白味がない。
横のつながりアピールは、まあリンクを増やして検索エンジン対策がどうのこうの…というわけで意図してやっている節があります。きっとイベントに参加してはここぞと名刺をバラ蒔いているんだろうと想像がつきます。
「一人で生きていくというのは、そういうことだ」と言われてしまえばそれまでですが、彼女からは必死という雰囲気が漂い、なんだか切なくなります。
大樹に寄ってきただけの私には、知人の営業活動をただ眺めるだけでもうお腹いっぱいの気分になり、「やはり自分にはフリーは無理だ」と諦める決心をつけてしまいました。
本当は元の知人に戻ってほしいのですけれども…
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