2018年8月11日土曜日

覚悟と無謀の境界は

県の農業振興公社に農地取得の相談をしてきました。
農地を借りるにしても買うにしても、県によって条件が異なるようで、斡旋をしてもらうためには、その県の取り決めに従う必要があります。
私の住む県の場合は、まず1年間農家で研修を受け、就農計画書を作成する必要があります。そこで晴れて新規就農者と認定され、農地の取得ができれば、農家としての人生が始まります。

しかし、ひとたび研修を受けるとなれば、大きな人生の決断を強いられます。
研修は別の仕事を行いながらは時間の制約上不可能です。また私のように、過去に就農経験があったとしても研修とは認められず、再び1年を費やす必要があります。
そして、農業を始めるためには農地なり、設備なり、多額の費用を準備しなければなりません。就農準備金などの補助金を受けることも可能ですが、通常は設備費用がかさむため、追加で借り入れをするのが一般的なのだそう。また計画書のチェックが2年目に入り、もし計画より収入を下回れば、補助金の返還もあり得るという厳しさです。

就農計画書の事例を見させていただけました。ちょうどこの春からの新規就農者が作成したもので、目がいったのは、やはりお金。施設園芸や果樹栽培だからというのもあるのですが、自己資金500万円に加えて、1000万円近い借り入れをしていました。もちろん最初の2、3年は赤字になるため、返済は不可能です。黒字になるのは5年目、それも計画通りに行ければの話です。
私がもう一つ目を見張ったのは、その就農者の25歳という年齢。大学を卒業してそのまま研修に入り、就農するのだそうです。若いのに計画を綿密に作っていて立派…と言いたいところですが、社会経験に乏しい若い子に、1000万近い借金を背負わせるのはどうなんだろう。私は「その人は大丈夫なんですかね」と公社の担当者に投げたら、返ってきたのは「農家になるのならそれだけの覚悟がないと」。

覚悟。何かを始めるにはリスクを取る必要があり、そのリスクの大きさによって覚悟、またはやる気を推し量っている。仕事を辞めるというリスク、借金を負うというリスク、それぞれが大きいほど覚悟、やる気があると見なされ評価される。人生を賭けるとは、まさにこのことです。
過去に、似たような話を何度も聞かされたことがあります。「ゆくゆくは起業したい」とそれとなく言ったが最後、急に態度を変えて、どこかの自己啓発書からそのままパクってきたような言葉をこうこうと説いたり、上から目線でやたらと暑苦しい精神論をふっかけてきたり。しかも、こっちが求めていないのに。彼ら、彼女らに共通するのは、やたらと「覚悟」「努力」という言葉を多用することでした。

しかし、夢を叶えるにしても、起業をして事業を継続するにしても、覚悟や努力というものは必要条件であっても、十分条件ではないと私は思います。
特に農業の場合、天候に左右されることが多く、異常気象が続けばあっという間に作物はダメになります。豪雨や台風で農業の被害額が億単位に上るというニュースは、毎年のように目にします。
そして、悪いことに、天候は個人の努力ではどうにも変えられないものです。被害の状況によっては農地を手放さざるを得ないこともあります。もしそれが就農間もない時に起きてしまったら、多額の借金のみが残ることになるでしょう。しかも、一般企業に就職するにしても、社会人経験の乏しい人は採用されにくい。運良く見つかったとしても、潰しの効くスキルしか持っていなければ、賃金の低い仕事しかありません。となれば、先の若い就農者は、再起が困難になるほどの計り知れないリスクを背負ったことになります。

若い頃はそうした精神論で物事を進めても良いのかも知れません。ただ、私もそれなりの年齢となり、周囲の、起業した人たちの様々な顛末を目の当たりにしてからは、安易に精神論に感化されないように気をつけています。そして、これまでうんざりするほど聞かされてきたアドバイスとは逆に、起業はいかにリスクを抑えて始めるかが大切と思うようになりました。

日を改めて、市の起業支援センターに相談しました。アドバイザーの方は淡々と話をしていましたが、経験が豊富なのがすぐにわかりました。そして、やはりリスクを抑えることの重要さを幾度と無く話していました。信頼できる支援機関で、自分の考えを確信できたのは大きな収穫でした。その時、私は、公社の方針に従わずに、ローリスクで就農する道を探ることにしました。新規就農者として認定されるのではなく、人のつてで農地を借りれば、小さく始めることができ、今の仕事を続けながらでも可能でしょう。補助金が下りないのはハンデですが、それでも多額の借金を背負うよりは良いです。もしくは、農地を借りやすい地域に移住するか。

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