2014年7月29日火曜日

大切だった資格

東京の友人から1年近くぶりにメールがあったかと思えば、
「仕事辞めます」
という連絡で驚きました。

友人は3年前に職業訓練で知り合いました。デザイナー志望だった友人は訓練が終わった後も、派遣の仕事をしながら専門の学校に通うという忙しい日々を過ごし、念願叶ってデザイナー見習いの仕事に就いてからも朝から終電まで猛烈に働いていました。
夢を追うとはこういうことか、と友人の話を聞く度に感心したものでした。

その、苦労と努力を重ねた3年間をチャラにする決断をした。
その踏ん切りには相当な勇気が必要だったはずです。
普通の人なら、これまでに積み重ねてきたものを捨てて、そして今後何もない状態でどう生きていこうかと悩むと、人生をリセットするようなことは、そう簡単にできることではありません。
しかし、自分で大切に思っている経験、知識というものは、実は客観的には価値のないものかもしれない、と疑問に思うこともあります。


手に石を持ったまま、湖を泳いで渡ろうとする女性の話だ。湖の中央あたりまで来ると、女性は石の重みで沈み始める。岸で見ている人たちは石を手放すように熱心にすすめる。それでも女性はそのまま泳ぎ続け、さらに沈んでいく。岸にいる人たちから見れば解決策ははっきりしている。だれもが「石を放せ」と叫ぶが、女性は沈むばかりだ。結局どれだけ大声で叫んでも無駄だった。水のなかへ消えながら女性はこう言った。「手放すなんてできない。これは私のものだ」
(『ハーバード流キャリア・チェンジ術』ハーミニア・イバーラ著より)


ひるがえって自分の半生はどうだったか。今まで気の向くままだったり、仕事上やむなくといった理由で、様々な勉強をして、資格もそれなりに揃えてきました。中には高い授業料を払ったものもあります。
しかし、それらの資格が今になっても生きているのだろうか?と聞かれると疑問に思います。むしろ、一部の資格には年会費がかかり、重荷になっている気がします。金銭的なことだけでなく、「資格を生かさなきゃ」という変な決めつけが自分を束縛している面も、恥ずかしいことですが否定できません。
それでも資格を手放していないのは、これまでの苦労のせいか、それとも費やした時間やお金を思ってなのか。

私もいずれ、自分の抱えている様々な石をきれいさっぱり捨てるのだろう、と思いながら、先陣を切って人生をリセットする決断をした友人に感服したものでした。

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